東洋のスイス──時計が刻む諏訪の未来

学ぶ

~山と湖が育んだ“時の都”──その起源を探る

諏訪湖のほとりに広がるこの地域は、かつて「シルクの都」と呼ばれ、やがて「東洋のスイス」と称されるようになった。産業の大転換の裏には、人と自然、技術と文化が織りなす必然の物語がある。

問いの出発点──「東洋のスイス」と呼ばれた理由

なぜ、長野県諏訪は「東洋のスイス」と呼ばれてきたのか。
その呼称は決して誇張やキャッチコピーではない。

八ヶ岳の山並みに抱かれ、諏訪湖の清らかな水を湛えるこの地は、古来より人々の暮らしと信仰を支えてきた。冷涼で乾いた空気は精密機械の製造に理想的であり、豊富な水資源は洗浄工程を可能にした。さらに製糸業で培われた技術力と勤勉な人々の気質が、精密産業の土台となっていた。

セイコーエプソン創業者・山崎久夫(1904–1963)は、これらの条件がスイスの時計産業を育てた環境と重なることを見抜いた。
彼は「この地はスイスに似ている」と直感し、諏訪を時計製造の拠点と位置づけた。
こうしたビジョンと産業集積の進展により、諏訪はやがて「東洋のスイス」と称されるようになっていった。

問いはここにある。
──なぜ、かつて「シルクの街」として栄えた諏訪が「時計の街」へと変貌し、そして今なお世界の時間を刻み続けているのか。

その答えを探ることは、単なる産業史の回顧ではない。
人と自然、技術と文化、過去と未来がどのように結びつき、地域の物語を紡いできたのかを問い直すことに他ならない。

エプソンミュージアム諏訪 創業記念館の外観
エプソンの原点を伝える創業記念館──シルクから時計、そして精密機器へと受け継がれた諏訪のものづくりの歩み。

シルクから時計へ──産業転換の物語

明治から昭和初期にかけて、諏訪・岡谷は「製糸王国」と呼ばれた。
諏訪式繰糸機の革新によって生糸の質と量は飛躍的に向上し、最盛期には日本の輸出額の半分以上を生糸が占めるほどだった。諏訪湖から流れ出る天竜川の水は糸の洗いに使われ、乾いた冷涼な気候は繭の保存に適し、豊富な森林は燃料を供給した。自然条件と技術革新が重なり合い、この地域は世界に誇る絹の産地として栄えたのである。

最盛期には、岡谷市の人口の約6割が製糸業に従事し、1909年には日本の輸出総額のうち生糸が約6割を占めたと記録されている。諏訪・岡谷のシルクは「日本の外貨獲得の柱」と呼ばれるほど、国の近代化を支えた。

しかし、華やかな繁栄の裏には「女工哀史」に象徴される労働の過酷さもあった。数万人に及ぶ若い女性たちが昼夜交代で糸を繰り、汗と涙の中から日本の近代化が紡ぎ出された。彼女たちの手仕事の繊細さと忍耐は、地域の技術基盤そのものとなっていった。

昭和初期、世界市場の変化や大恐慌、戦争による混乱が訪れると、製糸業は急速に衰退する。工場は次々と閉鎖され、かつての「絹の都」は行き場を失ったかのように見えた。
だが、その空白を埋めたのは、「時計」に加えて、レンズ、航空部品など多岐にわたる精密機械産業であった。

1942年、セイコーエプソン創業者・山崎久夫が設立した大和工業(現セイコーエプソンの前身)が、第二精工舎(現セイコーインスツル)の協力工場として腕時計組立を始めた。

そこに集まったのは、かつて糸を操った人々の器用な指先であり、微細な感覚を研ぎ澄ませてきた地域の人材だった。
糸の太さを見極め、均質に紡ぎ出す眼と手の感覚は、歯車やゼンマイを扱う精緻な技術へとそのまま転用されていった。

ここには「技術の断絶」ではなく、「連続性」という見えない橋が存在していた。

戦時中に諏訪へ疎開してきた工場群がその後の土台となり、製糸で培われた機械操作や検査の技術は、時計組立の微細な工程へと応用された。
つまり、衰退は終わりではなく「次の産業への助走」となり、地域は自然に産業の地続きを歩んでいったのである。

シルクの糸を紡いだ手は、時を刻む歯車を組み上げる手へと変わり、絹の都はやがて「東洋のスイス」と呼ばれる精密工業の拠点へと生まれ変わったのである。

💬「シルクの糸を紡いだ手は、やがて世界の時間を刻む手へと変わった。」

エプソンミュージアム諏訪・創業記念館の屋根構造を見上げた内部写真。木組みが時代の面影を伝える。
創業記念館の内部から見上げた木組みの屋根──当時の建築様式と職人の技術が、今もそのまま息づいている。

精密工業の黄金期──世界を刻む諏訪

戦後の復興期、諏訪にはセイコーエプソンを中心に、三協精機(現Nidec)、高千穂光学(現オリンパス)、日東光学(現NITTOH)といった精密企業が集積していった。諏訪湖周辺は日本有数の精密工業クラスターへと成長していった。工場群が林立し、通勤時間には白衣姿の技術者や作業員が列をなし、街全体が“ものづくり”のリズムで動いていた。

その技術力が世界に知られる転機となったのが、1964年東京オリンピックである。公式計時を任されたセイコーは、電子計時システムを導入し、1/100秒単位で競技の結果を刻んだ。これはアナログからデジタルへの大きな飛躍であり、世界中の目が「諏訪発の精密技術」に注がれた瞬間だった。

1970年代には技能五輪で時計職種の金メダリストを次々と輩出。工場の若手技術者たちは昼は作業、夜は技を磨き、地域全体が「世界一精密な技術を持つ」という誇りを共有していた。職人の手の感覚、設計者の眼差し、そして地域の支えが一体となり、諏訪は“時計の聖地”と呼ばれるまでに至ったのである。

実際に1970年代の技能五輪では、時計部門で日本代表選手の多くが諏訪出身者であり、5大会連続で金メダルを獲得するなど、地域の若き技術者たちが世界基準の実力を証明していた。

こうして「東洋のスイス」という呼び名は単なる宣伝文句を超え、地域の誇りとアイデンティティそのものに定着していった。諏訪で作られた時計は世界中の人々の腕に届き、同時に地域の人々の胸には「私たちが世界の時間を刻んでいる」という静かな自負が宿っていった。

💬「諏訪の人々は、時計を作るだけでなく『時間文化』を作っていた。」

1964年東京オリンピックで使用されたセイコー製公式計時機器
1964年東京オリンピックで公式採用されたセイコーの計時機器。精密工業の技術力が世界に示された瞬間を物語る展示。

世界市場での評価──輸出と信頼を勝ち取った技術

諏訪で磨かれた精密技術は、やがて世界市場でも高く評価されるようになった。
1960年代から70年代にかけて、日本製の時計はスイス製と肩を並べ、ついには輸出額でスイスを凌ぐほどに拡大していった。

特にセイコーが1969年に発表した「クオーツ・アストロン」は、世界初のクオーツ式腕時計として時計産業の常識を塗り替え、“時計の革命”と呼ばれた。

このイノベーションは、世界中の時計メーカーを震撼させると同時に、諏訪を「クオーツ革命の震源地」として歴史に刻んだ。

海外メディアはこぞって日本製時計を取り上げ、「信頼できる精度」と「手頃な価格」を評価し、世界の人々のライフスタイルを変えていった。

2023年の統計では、スイスの輸出総額が約267億スイスフラン(約4.3兆円)、日本の時計関連産業は約7,000億円規模。従業員数ではスイス約6万人、日本約3万人と差はあるが、両者は依然として世界の「時間文化」を支える両輪である。

スイスの高級機械式時計と、日本のクオーツ式時計。両者は異なる価値を体現しながらも、同じ「時を刻む文化」の頂点として並び立つ存在となった。その中心にあったのが、諏訪の人々が築き上げた技術と誇りだったのである。

世界初のクオーツ腕時計「クオーツ アストロン」とIEEEマイルストーン記念プレート(1969年、諏訪精工舎)
1969年、諏訪精工舎が発表した世界初のクオーツ腕時計「クオーツ アストロン」。その功績はIEEEマイルストーンとして認定され、精密工業の歴史に刻まれている。

挑戦と未来戦略「東洋のスイス」から「世界のSUWA」へ

諏訪地域の製造品出荷額は、2022年時点で約6,735億円(経産省「工業統計調査」)。
精密産業は時計を原点としつつ、自動車、医療、光学、半導体へと枝葉を広げ、いまも世界市場で競争を繰り広げている。

小松精機の燃料噴射部品は自動車に不可欠であり、三協精機(現ニデック)のモーター精密技術や、高千穂光学(現オリンパス)・日東光学(NITTOH)が担う光学部品は、カメラ、医療機器、産業用装置などの“見えない心臓部”を構成している。

こうした“目には映らない精度”こそが、世界の製品を静かに支える諏訪の技術なのだ。

しかし現在、地域が直面しているのは慢性的な人材不足である。
特に若手の確保が課題であり、2023年時点で20代製造技術者の割合は地域全体で15%に満たない(諏訪圏工業メッセ調査)。有効求人倍率も1.48倍(2023年8月、長野労働局統計)と全国平均を上回っており、製造技術者や専門職の需要は供給を大きく超過している。

この課題に対し、企業や大学はインターン受入やリカレント教育の仕組みを拡充しつつある。また、信州大学や諏訪東京理科大学と連携した教育モデルの導入、スタートアップ支援や研究拠点整備も進み、次世代の担い手育成と地域イノベーションの基盤づくりが始まっている。

さらに、脱炭素への挑戦も大きなテーマだ。諏訪圏ものづくり推進機構が策定した「脱炭素ロードマップ」は、再生可能エネルギー活用や新素材研究、小型ロケット開発といった先端技術を通じて、精密DNAを地球規模の課題解決へ進化させる未来像を描いている。

公立諏訪東京理科大学のキャンパス外観。地域の産学連携や次世代の人材育成を担う教育拠点。
公立諏訪東京理科大学のキャンパス。産学官連携による人材育成とイノベーション創出を進める、諏訪地域の未来戦略拠点。

時を超える文化──産業観光と地域ブランド

諏訪の時計産業は、単なる「製品づくり」を超えて、今や 文化資産 として継承されている。

 諏訪市のエプソンミュージアムでは、創業から80年にわたる歩みが精密に展示され、地域が培ってきた「ものづくりの記憶」が物語として語り継がれている。

下諏訪町の「儀象堂」では、900年前の天文観測時計・水運儀象台が世界で初めて完全復元され、来訪者は古代の科学と現代の精密技術が交錯する瞬間を体感できる。

特に人気を集めているのが、セイコーエプソンOBの技師による 時計組立体験 だ。
熟練の手が示す“時の刻み方”を間近で学ぶ子どもや観光客の表情には、工業製品というより「祈りを込めた工芸」に触れる驚きと敬意が宿る。
そこには「精密は人間の感覚から生まれる」という普遍的な真実がある。

さらに、地域ブランド「SUWAプレミアム」によって、精密技術とデザインの融合が加速している。
時計だけでなく、硝子工芸、ワイン、日本酒、家具といった多様なジャンルが“SUWA”の名の下に連携し、地域発の高付加価値商品として世界市場に挑んでいる。

これはかつて諏訪が「シルク」で世界を魅了した姿を彷彿とさせる。
だが今回は、輸出するのは物質だけでなく「物語と体験」 である点が決定的に異なる。

たとえば「SUWAガラスの里」ではガラス工芸体験が観光資源となり、地酒「真澄」を展開する宮坂醸造は地域ブランドの核として国内外に発信を続けている。
これらもまた「SUWAプレミアム」の文脈と呼応し、諏訪の多様なものづくり文化を世界へと届けている。

「時を刻む技術」が「時を味わう文化」として根を下ろしたとき、諏訪の産業は単なる経済活動を超えて、地域そのものを一つのブランドへと昇華させる。
いま、この地から再び「世界を魅了する物語」が紡がれようとしているのだ。

長野オリンピックで使用された公式メダルの展示。諏訪の精密工業とデザイン力を象徴する品々
1998年長野オリンピックの公式メダル。諏訪の時計産業で培われた精密技術と美意識が、世界の舞台で輝いた瞬間を物語っている。

未来への展望──「東洋のスイス」から「世界のSUWA」へ

諏訪が掲げる未来像は、過去の栄光を守ることではなく、新しい旗印を掲げることだ。
その象徴が「2030年までに製造品出荷額を1.2倍へ伸ばす」という具体的なKPI(経産省工業統計)である。

この実現に向けた軸は4つに整理できる。

  • 脱炭素とSDGs対応を基盤とした 「環境配慮型クラスター」
  • 精密加工技術を応用した 「医療・ヘルスケア産業集積地」
  • 産業観光と文化発信を重ね合わせた 「ものづくり聖地」
  • 大学・自治体・企業が連携する 「地方型スタートアップ拠点」

これらはゼロからの挑戦ではなく、製糸から時計へと続いた“技術の連続性”と、共同体として培った信頼と協働の力を土台にしている。

「東洋のスイス」という言葉は、もはや過去を懐古する比喩ではない。それは未来を問う装置であり、次なる旗印──「世界のSUWA」へと進化するための出発点だ。

──私たちはこれから、どんな「時」を刻んでいくのか。
時計の針を動かすだけではなく、人と人、人と自然、そして地域と世界をつなぐ「新しいリズム」を奏でること。
その挑戦こそが、諏訪の未来を形づくるのである。

💬「『東洋のスイス』は、未来を問うための言葉である。」

信州諏訪ガラスの里内に設けられたSUWA PREMIUMショップ展示。地域ブランドを体感できる空間。
信州諏訪ガラスの里のショップに展開するSUWA PREMIUM展示。諏訪の技術と文化を結びつけ、未来のブランド価値を発信している。

🎧 諏訪の時が静かに鳴る。声で味わう “東洋のスイス” の物語を。
──0LifeStyle Radioより。

参考情報リンク

エプソンミュージアム諏訪 SUWAガラスの里

ボタン

ボタン

📚 出典一覧

髙林千幸
『岡谷・諏訪はなぜ製糸日本一になったのか』2016年
(岡谷蚕糸博物館資料、明治〜大正期の生糸生産シェア)

農商務省
『大日本蚕糸会報告』1909年
(生糸輸出額に占める比率:全国の約6割)

岡谷市史編纂委員会
『岡谷市史』1977年
(昭和5年女工34,500人、人口の約半数)

セイコーミュージアム
「東京五輪公式計時に関する資料」2017年
(技術者85名・費用約2億円・36機種使用)

セイコーウオッチ株式会社
「クオーツ・アストロンの歴史」公式サイト
(1969年、価格45万円、世界初クオーツ腕時計)

スイス時計協会 FH
『時計産業統計』2024年
(輸出総額260億スイスフラン、前年比2.8%減)

長野労働局
『労働市場情報』2024年版
(諏訪地方 有効求人倍率1.48倍)

諏訪圏ものづくり推進機構(SUWAMO)
『脱炭素ロードマップ』2022年公開

この記事は役に立ちましたか?

関連記事

目次