~かつて難しいと言われた土地は、なぜ新しいワイン産地になったのか
難しいと言われた、ということ
葡萄畑の向こうに、八ヶ岳が見えた。
列をなした葡萄の樹の、その奥に、見慣れた稜線がある。
いつもは遠くにある山が、すぐそこにあった。
スマートフォンで標高を確認する。
1020メートル、と出た。
茅野市の南、原村の高原。
夏でも風が涼しく、空が近い場所だ。
畑に立つと、足元の土が乾いている。
日差しは強いのに、風はどこか冷たい。
葡萄の葉が、その風に小さく揺れている。
遠くで、トラクターの音がする。
レタス畑の緑が、葡萄畑のすぐ隣まで来ている。
ここで、ワイン用の葡萄が育てられている。
標高1000メートルを超える畑で。
少し前まで、それは「難しい」とされていた。
標高が高すぎる。
寒すぎる。
生育期間が短すぎる。
専門家の間でも、産地として成立するのか、懐疑的な見方は少なくなかった。
この高原は長い間、ワイン産地の候補から外れていた。
だが今、目の前に葡萄畑がある。
列は手入れされ、若い樹が空に向かって伸びている。
誰かが、ここに植えた。
難しいと言われた土地で、難しいことを、始めた人がいる。
なぜここに、葡萄畑があるのか。
その問いから、この記事は始まる。

寒さ、霜、時間の不足
そもそも、なぜ「難しい」とされてきたのか。
ワイン用の葡萄には、育つ条件がある。
ヨーロッパ系品種が安定して実をつけるためには、
生育期の平均気温がおおよそ13度から21度に収まる必要があるとされている。
この範囲は、思いのほか狭い。
暑すぎても、寒すぎても、品質は落ちる。
標高の問題は、その「寒すぎる」側に効いてくる。
標高が100メートル上がるごとに、年平均気温は約0.6度下がる。
標高1000メートルの畑は、平地より6度近く低い環境に置かれる。
6度という数字は、小さく見えて大きい。
それだけ芽吹きが遅く、秋の冷え込みが早い。
葡萄が糖度を蓄え、完熟するまでの時間が、単純に足りなくなる。
春に芽が出て、秋に実が熟す。
その間に与えられた時間が、ここでは短い。
時間が足りなければ、果実は青さを残す。
糖が乗りきらず、酸ばかりが立つ。
霜のリスクもある。
春、芽吹いたばかりの新梢が、一晩の霜で枯れる。
高標高地は冷たい空気が滞留しやすく、平地より霜が降りやすい。
やっと芽吹いた若葉が、朝の冷え込みで一気に失われる。
秋にも同じことが起きる。
収穫前の大切な時期に、寒波が来る。
寒さは、病気も呼ぶ。
冷涼で湿った環境を好む病害が、葡萄を蝕むことがある。
収量が落ち、翌年の樹の力まで弱る。
積算温度の不足。
霜害のリスク。
病害と収量の不安定さ。
これらが重なって、標高1000メートル前後の高原は
「ワイン用葡萄には向かない土地」と長く見なされてきた。
ポテンシャルがないわけではない。
ただ、リスクに見合うと考えられてこなかった。
難しい、という判断には、根拠があった。

条件は変わった。見方も変わった。
しかし今、その前提が動いている。
気候変動は、農業の地図を静かに塗り替えてきた。
フランスの研究機関INRAEなどの調査によれば、
ヨーロッパでは過去40年間で収穫時期が2〜3週間早まっている。
生育期のスタートが前倒しになり、積算温度が増えた。
「熟しきらない」と思われていた冷涼地や高標高地でも、成熟が見込めるケースが増えてきた。
足りなかった時間が、少しずつ戻ってきた。
ワインの適地は、北へ、そして高地へ移りつつあると言われている。
暑くなりすぎた平地を離れ、かつて寒すぎた場所が、新しい候補になっていく。
高標高地は、これからの適地のひとつとして語られ始めた。
北海道が、その典型だ。
かつてワイン用葡萄には寒すぎるとされていた余市などで、
1990年代後半の気候シフトを境に、ピノ・ノワールが安定して育つようになった。
農研機構の研究が、その変化を記録している。
冬の樹体凍害が減り、生育期の積算温度が上がった。
今では、気候変動に適応した成功例として、国の資料にも取り上げられている。
寒さが、リスクから可能性へ変わる瞬間が、データの上にも現れた。
ただし、気候が良くなった、という単純な話ではない。
温暖化が進んでも、春の霜は今も来る。
寒暖の振れ幅は、むしろ読みにくくなっている。
条件が有利になったのではなく、勝負ができる土俵に変わった、という方が近い。
そして、見方も変わった。
昼夜の寒暖差が大きいほど、葡萄は酸を保ちやすくなる。
成熟期間が長いほど、複雑な香りが蓄積される。
高い酸と繊細なアロマを持つワインは、冷涼地でしか生まれにくい。
モーゼルのリースリング、シャンパーニュ、オレゴンのピノ・ノワール。
どれも、暖かい土地では出せない味だ。
冷涼さがあるからこそ、引き締まった酸と、澄んだ香りが生まれる。
世界の冷涼産地が高く評価されてきたのは、
不利だった条件が、そのままスタイルの核になったからだ。
寒さは、薄さにもなるし、鋭さにもなる。
どちらに転ぶかは、土地と人の関わり方で決まる。
難しかった理由が、強みに変わる。
その構造が、ここにもある。

ワインは、突然やってきたのではない
八ヶ岳西麓でワイン用の葡萄が育てられるようになったのは、偶然ではない。
この高原には先に、別の転換があった。
八ヶ岳の東側、野辺山高原から川上村にかけての高冷地は、
かつて「農業不振地域」と呼ばれていた。
標高が高く、霜が多く、土地が痩せている。
従来の水稲や一般的な畑作には、向かなかった。
生育期間が短く、市場へのアクセスも悪い。
不利な条件が、いくつも重なっていた。
それが1950年前後を境に、大きく変わる。
レタスの導入だった。
冷涼な夏が、平地では育てられない夏どりのレタスに最適だった。
標高が高く涼しいことが、ここでは弱点ではなく利点になった。
小海線の開通と幹線道路の整備が、大都市圏への輸送を可能にした。
1949年、川上村は国の蔬菜生産指定地となる。
翌1950年、レタス栽培が始まる。
戦後、洋風の食卓が広がり、外食が増え、サラダの需要が伸びていった時代だった。
涼しい高原と、新しい食文化と、輸送網。
三つが噛み合って、産地が生まれた。
「涼しすぎて農業ができない」と言われた土地が、
「涼しいからこそ成立する農業」の一大産地へ変わった。
やがてこの一帯は、夏の野菜を全国に送り出す供給地と呼ばれるようになる。
川上村・南牧村一帯は今も、全国有数の高原野菜の産地である。
夏のレタスの多くが、この高原から運ばれていく。
同じことは、八ヶ岳をはさんだ反対側でも起きていた。
この西麓の高原でも、冷涼な気候を生かして高原野菜が育てられてきた。
原村や富士見の畑も、その上にある。
葡萄畑の隣に野菜畑が続くのは、その歴史のつづきだ。
ワインは、その延長線上にある。
高原農業の文脈が先にあり、農道が通り、土地と向き合う人が積み重ねてきた。
畑を耕す技術も、寒さと付き合う知恵も、すでにそこにあった。
その地盤の上に、気候変動と栽培技術の進歩が重なって、葡萄という選択肢が現れた。
突然生まれた産地ではない。
土地の物語の、続きとして、ワインが来た。
その挑戦の形は、ひとつではない。
原村で最初のワイナリーは、2022年、土木会社の手で生まれた。
八ヶ岳はらむらワイナリー。
建設業を営む会社が、事業の幅を広げるなかで、ワインに乗り出した。
社長は自ら、葡萄畑となる土地を整地したという。
土を動かしてきた人たちが、その土で、葡萄を育てはじめた。
畑違いに見えて、地続きの挑戦だった。
もう一つの、不利を価値に変える試みである。
同じ高原で、二度、価値が読み直されている。
一度目はレタスで。
二度目は、葡萄で。
そして今、その担い手も、一つではなくなっている。

挑戦は、土地の文脈の上にある
原村の畑に立つと、標高1020メートルの表示が出た。
kifutato wines(キフタトワインズ)の圃場だ。
葡萄の樹は、まだ若い。
幹は細く、背は低い。
これから何年もかけて、根を深く下ろしていく樹だ。
ここで葡萄を育てているのは、
日達(ひだち)さん一家だ。
父と母、双子の姉妹。
ワイナリーの名「キフタト」は、家族四人の名前の頭文字をつないだものだという。
2015年、両親が営む農園で、ワイン用葡萄の栽培が始まった。
醸造を担うのは、姉の桐子(きりこ)さん。
ラベルのデザインは、双子の妹、楓子(ふうこ)さんが手がける。
最初から自分たちで醸造していたわけではない。
2019年、よその蔵を借りて、初めてのワインを仕込んだ。
自分たちの葡萄がワインになる工程を、一つずつ覚えていった。
急がなかった、とも言える。
そして2024年、自園での醸造を始める。
栽培の起点から、およそ9年が経っていた。
9年という時間は、短くない。
標高1000メートルの畑で、
毎年、霜と寒さに向き合いながら、樹を育て続けた時間だ。
ピノ・ノワール、ピノ・グリ。
冷涼地に向いたヨーロッパ系の品種を選び、
この標高でしか生まれない個性を探している。
畑ごとの違いを、そのままワインに映そうとしている。
八ヶ岳西麓ワインバレーは、
2023年に認定された、長野県で最も新しいワイン産地だ。
茅野市・原村・富士見町の3市町村が、その範囲にあたる。
登録されたワイナリーは5か所。
委託で造る小さな生産者まで含めれば、その数はさらに増える。
長野県全体のワイナリー数も、この10年あまりで3倍以上に増えた。
その増加の、最前線にこの高原がある。
まだ産地として若い。
確立されたブランドがあるわけでも、世界に知られた名前があるわけでもない。
けれどその若さが、今ここで起きていることの手触りを、ありのまま伝えている。

不利が価値になる構造
この話は、ワインだけの話ではない。
標高1000メートルという条件は、変わっていない。
気温が低いことも、霜が来ることも、生育期間が短いことも、今も事実だ。
変わったのは、その条件をどう読むか、という視点だった。
寒暖差が大きいから、酸が残る。
成熟に時間がかかるから、香りが深くなる。
高標高だから、平地では出せない個性が生まれる。
同じ事実が、別の意味を持ち始める。
この構造は、ここだけのものではない。
フランス・ボルドーの右岸では、冷たく水はけの悪い重い土が、
メルローという品種にとって理想の畑になった。
徳島のにし阿波では、急な斜面という不利が、
世界農業遺産という価値に変わった。
不利を消すのではなく、その中にしかない価値を見つける。
共通しているのは、条件そのものではない。
寒さも、斜面も、痩せた土も、土地によってばらばらだ。
同じなのは、その条件を見つめ直した、まなざしの方だ。
その転換を可能にしたのは、外部の変化だけではない。
気候が動いた。
技術が蓄積された。
品種が選ばれた。
そして、この土地でやってみようと思った人の判断があった。
かつてレタスがそうだったように。
不利だった条件が価値に変わるとき、
その転換点には必ず、土地の文脈を読み直した誰かがいる。
条件は、与えられたものだ。
しかし意味は、与えられない。
意味は、発見され、編み直される。

農道は、奥へ続いている
農道はまだ、奥へ続いていた。
葡萄畑と高原野菜の畑が、混在している。
レタスの緑の隣に、葡萄の列がある。
ひとつの高原に、二つの時代の挑戦が、並んで立っている。
八ヶ岳の稜線と、風と、夏の光。
完成品ではなく、挑戦の途中にある土地の空気が、ここにはある。
八ヶ岳西麓ワインバレーは、まだ答えを持たない産地だ。
ワイナリーはこれから増えるかもしれない。
品種の選択も、栽培の技術も、まだ試している途中だ。
どんなワインがこの土地の代名詞になるのか、まだ誰にもわからない。
それが、この場所の今の正直な姿だ。
難しいと言われた条件は、変わっていない。
ただ、読まれ方が変わった。
かつてレタスを選んだ人がいて、今、葡萄を選んだ人がいる。
そのどちらも、この高原を、不利な土地としてではなく、
何かが育つ土地として捉え直した人たちだ。
不利だと思われていたものを、誰かが、価値として読み直す。
その積み重ねが、土地の歴史になる。
諏訪の南の高原は、そういう選択の積み重ねの上に、今日も静かに広がっている。
葡萄の樹は、1000メートルの空の下で、まだ育ちはじめたばかりだ。
その先に何ができるのかは、まだ、誰も知らない。
だからこそ、見に行く意味がある。

🌿 コラム補足メモ
高原は、標高を意識して歩くと、見え方が変わる。
八ヶ岳西麓ワインバレーは、茅野市・原村・富士見町の三市町村にまたがっている。
畑はおおむね標高800メートルから1200メートルの高原に点在している。
車で少し移動するだけで、標高が変わり、風の冷たさが変わる。
同じ葡萄でも、どの高さで育っているかを意識すると、景色の意味が変わってくる。
歩くときに、ひとつ問いを持っていくといい。
この畑は、なぜここにあるのか。
レタス畑と葡萄畑が隣り合っているのは、なぜか。
その問いを持つと、ただの高原の風景が、二つの時代の挑戦が重なった場所に見えてくる。
この地域のワイナリーの多くは、小規模な家族経営だ。
観光向けに常時開いている施設は、まだ多くない。
訪ねたいときは、事前に各ワイナリーの公式サイトやSNSで、受け入れの可否や最新の情報を確かめておきたい。
収穫期の前後は、畑も醸造も忙しい時期にあたる。
産地としては、まだ若い。
案内板も、整った観光動線も、これからの場所だ。
だからこそ、自分の足で標高を確かめ、自分の目で畑を見ることに、意味がある。
完成した産地を見に行くのではなく、生まれつつある産地に立ち会う。
そういう歩き方が、この高原には似合っている。
参考情報リンク
| 八ヶ岳西麓ワインバレー | 信州ワインバレー構想2.0(PDF) |
八ヶ岳西麓ワインバレーのテイスティング体験 |